脳内フィールドワーク

自分の脳の最適化のために

なぜ本を読み続けているのか?=生まれつき世の中のことがすぐに納得できないから

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「なぜ本を読み続けているのか?=生まれつき世の中のことがすぐに納得できないから」について書いていきます。

 

 

要約

・先天的に世の中/社会のことが理解/納得しづらい感覚がある。

・普通の人は「そういうことなのね」と理解した気にして低コストに生きている。

・この理解の遅延や不快感のせいで、社会に慣れることができない。

・読書することで他者の経験を学び、社会に対抗する術を知ることで、社会からの疎外感/アイデンティティの喪失から身を守る距離感を得る。

・読書により、「当たり前の社会」以外の仮想世界を作ることで自己を肯定して生きることができる。

 

なぜ本を読むのか?

そう聞かれることが多い。月に五千円以上本の購入に費やす僕の行為が理解できないといわれる。

なぜなら、スマホでググればわかるじゃないかと。

たしかにググれば、圧倒的な速さと低コストで答えにたどり着く。

しかし検索機能というのは、疑問を意識することができなければ使うことができない。

 

「疑問」というのは認知的不協和だと思う。なんかしっくりこないという感覚。

僕の場合、先天的にこの認知的不協和に達する閾値が低く、そして何よりこの感覚が不快でたまらない。

普通の人が「そういうことなのね」で済ませることができてしまうのが羨ましい。

数学的な形式美ではなく、モワッとした情報の雲の中から何か手応えがほしくなってしまう。

 

この不快感を解消するには、本が必要だった。

本は著者の経験が書いてあるからだ。哲学だろうが小説だろうが、僕にはその全てが時間であり行為の結果である。

よって学術的な体系で学ぶという行為は、これもまた不快なのである。

僕は常にこの不快感を解消したい、かゆいところに手を届かせたいと思って読書しているため、体系的な知識の構築とはそれ自体が認知的不協和を生んでしまう。

なんせ抑圧や管理されること自体が、僕の認知的不協和の源泉であるからだ。

思えば、小学生の頃から教師に高圧的に指示されるのが不快でたまらなかった。学校教育は型にはめるための矯正施設であり、総じて不快だった。

 

そのため、僕のインプットはすべて独学である。

この独学とは知識摂取の軌跡であり、時系列すら無視したランダムな興味の各個撃破という戦術だ。

しかし、この全てが「先天的に世の中のことが理解しづらいから」との戦いの系譜でもある。

とにかく納得がいかない、納得いかないから反抗的になるし、理解も遅い。

社会不適合者というのはまさしくこれであり、要するに納得いかないから理解するまでに時間がかかる。いつしかこの遅延に対しての外圧(仕事、人間関係)や内省的不安により、自己喪失状態へ陥る。

僕はそこまでナイーブではないので、反抗的服従しつつも自己をなんとか維持してきたが、そうでない人を多くこの目で見た。

僕が自己喪失に陥らなかったのは一つ、読書による知識武装のおかげである。

知識武装すれば、『言い訳』が腐るほど湧いてくるからだ。

逆説的にだが、社会不適合者はこの言い訳を徹底すれば社会に適合したように見せかけることができる。この言い訳とは、自分に対しての言い訳なのだから。

言い訳により、社会からのはみ出しものではなく、社会という基盤こそおかしいのだと一歩距離を置くことができるのだ。

社会との距離感こそ、我々のような人間に与えられたライフハックであり、アジールは自分で構築するしかないのである。

 

このブログは、読書録や雑念のアウトプットという名の外付けHDDみたいなものだ。

社会との距離感を構築するためには、受け身ではなく攻めた人格形成が必要であり、その手っ取り早い方法は読書という名の「あるパターン」の摂取である。

この事象のカオスを意欲の向くままに摂取することで、いつしか星座のように関連性を無理やり見出すことができる。

その関連性は経験となり、より自己を明確にし、社会に取り込まれることなく社会に囚われることができる。

何者でもない現代人は、マトリックスのような仮想世界を欲している。社会不適合者こそ尚更だ。

なぜなら、社会に居場所などないからだ。

社会システムとは社会システムのためだけにある。

だが、人類がこれだけの人口で文明を築くために必要であるという共同幻想のもと、この社会を構築してきたのだから仕方がない。

スピード違反の取締こそ社会システムの縮図である。

 

ということで、僕は僕の反社会的な脳みそを社会を理解した気分にさせることで自己の存在感を何とか維持しながら生きてきた。

しかし、とにかく闇鍋のような知識武装の結果、東洋思想の本を読み耽るくらい取り留めのなさが気になってきたので、少しは知識をまとめていきたいと思うようになった。

なので記事更新は非常に稀だと思いますが、ネットの海に存在を放つことが即ち反社会的かつ自己の明確化だと思っているので少しずつ続けていきたいと思っている。

 

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